
私はかなりの天邪鬼なようで、何か耳に入ってくると大抵はそれと反対のことを思い浮かべます。
ですから、人の意見を聞くと、自分の本意と関係無しにその反対のことを考えてしまうのです。
別にその人の意見を否定したいわけではないのですが、ぽんっとそう言うアイデアが浮かんでくるのです。
(レイキをしていてありのままを受け止めると言いながら、人の想念には作用反作用の法則が働くようです・・・)
また、人の行いや意見を評価・批評するのも同様に半自動的に行う癖があります。
そう言う癖のために、結構議論が起こりやすく、多くはその議論を楽しんでいるのですが、時には人の心に土足で踏み入ることになってしまい、失敗することもしばしばあります。
いかんなぁ~
と思いながら、自分の心の動きをできるだけモニターして、相手を評価する思考を避けるように気をつけているのですが、仕事柄でしょうか・・・(学習塾の仕事です・・・)
気が付くとそう言う論調になりがちです。
最近の英語の教材の中で、
「自分が正しくあるべきだと思うことは、相手の人が間違っていると暗に言っていることだ」みたいな
言葉がありました。
その意味を生徒に説明していて、これって自分がしていることじゃないかな~
そして、昨日、古本屋さんをうろうろしていると、「強く生きる」みたいな言葉に出会いました。
するといつもの癖が・・・
「しなやかに生きたい」。
???
そうだ、しなやかに生きたいんだ。
ぶつかってくるものがあっても、まともに受け止めて摩擦を起こすのではなく、ましてや自分から相手にまともにぶつかっていく訳でもない。
柳の枝のように、当たるものを受け流し、それでいて、流されっぱなしでなく、元のポジションに戻ってくる。
そう言うしなやかさが自分には欠けている。
相手が間違っていても良いじゃない。
自分が間違っていても良いじゃない。
相手の言うことにいちいち反応することも無い。
笑顔で楽しく、でも筋は通して生きていく。
そんなスタイルを確立していきたい。
天邪鬼な癖から見つけた、楽しそうな生き方。
少しずつで構わないから、そう言う時間を増やしていこう。
それもレイキストとしての生き方だと思うのです。