結局は自分が一番大切。

 

人のために何かをすると決めても、その一番根底では自分のためと言うことになる。

 

自分はどうでも良い、○○のためにだったら・・・と言うのも、それは突き詰めれば自分を満足させることに他ならない。

 

自分を殺して、人のために生きているなどと言うのは偽善でしかない。

 

自分を殺せば、その後に何かをする意識はなくなるから、誰のためにも何も出来ない。

 

人のためになりたい、人のためになれば自分は満足と言う意識があるから、人のために何かが出来るのだ。

 

人は意識ある限り、根底では自分のためにしか生きられない。

 

ただ、自分のために生きた副産物として人が喜んでくれれば更に嬉しい。と言うのが本当だと思う。

 

だから、人のことを差し置いて、自分のことばっかり優先していたら言いのかというと、それはいけない。

 

なぜなら、自分は環境と完全に切り離して考えることは出来ないから。

 

環境と切り離せないと言うことは、周りをきちんと自分の居心地の良い状態に保たないと、結局自分がつらい思いをす
ることになると言うこと。

 

普段、自分は独立した存在で、その居場所も自分で自由に選べると勘違いしていると気付かない。

 

でも、自分が自分がと自分のことだけを考えて物事をしていると、気が付けば自分の居場所がどこにもなくなってしま
う。

 

逆に周囲に気を配って程よく環境整備をしていると、どこに行っても歓迎してもらえる。

 

目の前の他人は自分の一部。
自分が心地よく過ごそうと思えば、目の前の他人に心地よく過ごして貰わねばならない。

 

目の前の部屋も自分の一部。
自分が心地よく過ごそうと思えば、程よく整理整頓をしておかねばならない。

 

自分の存在は自分の外と思っているところと切り離すことは出来ない。
それらが一体になって自分であることを自覚しなければならない。

 

レイキの五戒で「人に親切にする」と言うのは、そのことに気付けば、当たり前のようにできること。

 

「感謝する」のも、そのことを理解していれば、何ら難しいことではない。自分が存在するのは周りのお蔭。

 

自分のために自分は生きていることを、本当の意味で知ることが出来れば、もっと謙虚に生きられるのではないか?